ザンビアの近隣諸国
ザンビアへ赴任していた2年間に近隣諸国へ足を伸ばす機会があり、東アフリカのインド洋沿岸へ旅行した。また、ザンビアの東に位置する国マラウイへも、そして、 任期満了時になかなか行くチャンスがないだろうと南部アフリカのボツワナと スワジランドへ旅行した。
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Zanzibar Island, Tanzania Mar 1988
アフリカとアラブ、そしてイスラムが融合したザンジバル、アラビア語で黒人の国の意味
BILLY JOELの”52nd STREET”というアルバムに、Zanzibarという曲がありますね。
2000年に旧市街ストーンタウンが世界遺産に登録されました。
1982年の申請では却下でしたので実に18年を経て達成したことになります。
Stone Town (National Geographic) |
ザンジバル島
3週間の休暇をもらい内陸国ザンビアからインド洋沿岸を旅した。最初ダルエスサラームに滞在しその後ダルエスサラーム北方沖合いに浮かぶザンジバル島へ行った。日本から持ってきたガイドブック(地球の歩き方ケニア・タンザニア編?よく覚えていないが最初のころのだと思う)の活字から得られる情報は限られていたがそれでも足をここへ向けさせる何かがあった。
石造りの街並み、アフリカ+アラブとイスラム、オマーンの支配下、ポルトガル勢力、クローブの産地、奴隷市場後などなど、
ストーンタウン地図 | ザンジバル島地図01 | ザンジバル地図03
要塞から | ストーンタウン、市場 |
ザンジバル旧市街(ストーンタウン)
ザンジバルへは悪名高きエアータンザニアを利用した。(選択肢はなかったのだが。)このフライト自身は問題なかったがダルエスサラーム空港でちょっとしたトラブルがあった。フライトは飛行距離が短いので上昇してほんの少し水平飛行をした後着陸態勢になり、あっという間にザンジバルへ着いた。
空港からはみんながそうしているように乗合のピックアップで街まで行った。ホテルはザンジバルホテルという街中にある由緒ありそうなホテルに泊まることにした。部屋は一緒に空港からきたオーストラリア人とシェアした。宿泊料は一泊朝食付8ドルだっただろうか。
ダルエスサラームでもウンザリしたのだがとにかく暑い。部屋には天井に付けられている大きな扇風機があるのだが熱風を浴びているだけで一向に涼しくならない。夜になってもこの暑さは変わりなく、汗びっしょりで寝苦しく朝方涼しくなるまで何度も眼が覚めた。
要塞より | Zanzibal Hotel entrance |
ザンジバルの街
ザンジバルホテルにチェックインした後、街中を探索に出かけたが、昼間は暑くて日陰で静かに昼寝でもしているほうが賢い行動パターンであろう。旧市街は迷路のような小道が入り組んだ、どこかベニスの街を思い起こすようなつくりだった。歩いているとどんどん奥へ奥へと吸い寄せられていく。
ガイドブックによるとジャパニーズバーというのがかなり昔あったようでカラユキさんがここまで働きに来ていたと紹介されていた。その昔交易で栄えたのであろう。その頃の面影がこの石の街であり、重圧な彫刻が施された扉がいかにもという感じがした。
錆びた亜鉛鉄板の屋根が広がるストーンタウン | 下校途中の子供たち |