ザンビアの近隣諸国
ザンビアへ赴任していた2年間に近隣諸国へ足を伸ばす機会があり、東アフリカのインド洋沿岸へ旅行した。また、ザンビアの東に位置する国マラウイへも、そして、 任期満了時になかなか行くチャンスがないだろうと南部アフリカのボツワナと スワジランドへ旅行した。
Z近隣諸国top | ダルエスサラーム - ザンジバル島01 02 | - |モンバサ - マリンディ - ラム島 - ナイロビ | - | ハラレ
歴史を感じるザンジバルの木製扉と狭い街路 Mar 1988
ストーンタウンの街を歩き始めたら、彫刻された木製の立派な扉が目についた。古いのもあれば新しいのもある。こんな伝統が受け継がれているとは文化とは偉大なものだ。ストーンタウンは迷路のような街路、敵を欺くためか歩いていて常に新たな発見がある。
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精緻な彫刻木製 | 木製扉、やや新しい | 路地と女性 |
露天の食べ物−ザンジバル島
タマリンドジュースやサトウキビジュースが道端で売っていた。この暑さでは喉も渇く。時々、日陰での休憩をかねてこれらのジュースで喉を潤した。ザンビアでもそうだったがこういう熱いところへ来ると、コーラが美味しく感じた。普段はまったく飲まないのだがザンビアでもここでも時々飲んだ。でも、ザンジバルのようにジュースがあればそちらへ目が行く。これもまた旅の楽しみだ。
ストーンタウン地図 | ザンジバル島地図01 | ザンジバル地図03
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ポルトガルが築いた要塞から | 砦にて | 壁に根を張る木(奴隷島) |
海亀の生息する奴隷市場があった島探検
翌日はストーンタウンの直ぐ先に浮かぶウミガメの生息する島へザンジバルホテルに泊まっていたオーストラリア人とイタリア人、そして、私を含めて何人かで行った。ここは奴隷貿易当時使っていたようだが当時は廃墟だった。時折観光客が訪れる程度。建物や塀の壁には木が根を張り崩壊寸前の状況だった。
珍しかったのは、ここにはゾウガメが生息していただ。石のこぶのような大きなゾウガメが所々にいた。なんの天敵もいないのだろう。のんびりとした印象だった。
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船着場で泳ぐ子供達
島から戻ったのは午後遅くなってからだった。船着場に着くと子供たちが入れ替わり立ち代り海に飛び込んで遊んでいた。
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クローブの島ザンジバル
ザンジバルではクローブの生産が盛んであり、世界の8割を占める。元々はモルッカ諸島で栽培されていた香料だがこの地を支配していたオマーン国王が産業振興のためクローブを移植、栽培を促進した。ザンジバルの街を少し出るとクローブ畑が広がっている。
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粉末にしたクローブ | クローブの実 |
かつては独立国家、ザンジバル
ザンジバルはかつては国連に加盟していた独立国だった。といっても僅か数年だが。英国から独立したのは1961年、そして、1964年、タンガニーカと合併し連邦国家であるタンザニアとなった。下の切手は独立当時発行されたもの。
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国際的な観光地
ザンジバルホテルで朝食を食べに食堂へ行ったときに宿泊客の面々と顔を合わせた。見渡したところ、ヨーロッパ系が多かった。それでも東アジア系も宿泊していた。身なりからすると日本人のようだったので挨拶を交わしたら日本人だった。小さなホテルだったが国際色の豊かさはザンビアとは違うなーと感じた。