ザンジバル島、ストーンタウン(旧市街)概略
The Stone Town of Zanzibar

ザンジバル島は 1499年、 ポルトガルの航海者バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回って、 アフリカ東海岸に到達したとき上陸した地点の一つで、 ザンジバル・ストーン・タウン旧市街は島の西端にある港町である。

  街はそれ以来ポルトガルの植民地となったが、 その後アラブ人がオマーンから侵入してポルトガルを追い出し、 1832年スルタンがオマーンからザンジバルに宮殿を移したことで街はさらに発展した。 しかし、 当時の街で取り引きされた主な商品は奴隷であった。 奴隷は東アフリカ全域から捕らえたアフリカ人で、 一度ザンジバルに集められてから奴隷市場で取り引きされた。 その数は年に数十万人と推定されている。 なおそれを主にアラブ人の奴隷商人が取り引きしたため、 その後、 街のイギリス植民地化や独立と時代が変わっても、 今なおアフリカ人とアラブ人の不和が続いている。 奴隷貿易は 1873年に廃止されるまで続いたが、 現在、 奴隷市場のあった場には、 1877年建造のカテドラル・チャーチという美しい教会が建っている。

  街の見所は、 1833年にスルタンが建てた宮殿 The House of Wonder(驚嘆の家)と、 もとスルタンのハーレムだった People's Garden(人民の庭園)、 リビングストンの遺体を安置した旧英国領事館、 街の防衛のために1710年に築かれた初期の要塞 OLd Arab Fort(これは1754年にアラブ人に攻撃され、 現在は塔が残るだけ)等がある。 また島の南端にあるキジムカジには古いモスクが残っている。 ザンジバル・ストーン・タウンから北に3kmくらいの海上にプリズン島という無人島があるが、 そこには、 かって奴隷を監禁する目的でつくられた監獄があって、 生々しい拷問道具が今も残ってある。

  またザンジバル島の周辺の島々には遺跡が多く点在しており、 まだ研究がなされていないものも多い。 ザンジバル島の北西8kmにあるトゥンバトゥ島、 ザンジバル島の北東40kmにあるペンバ島には、 まだあまり調査されていないが、 廃虚となったモスクやペルシャのヘラジ式建築が残っている

Z近隣諸国top | ダルエスサラーム ザンジバル島01 02 | - |モンバサ マリンディ ラム島 ナイロビ| - |ハラレ

Top > Index > Zambia | Lusaka | Mongu | Victoria Falls | South Luangwa | Kitwe-Solwezi | Chipata | Mufurila | 近隣諸国 | 雑感 | 概況 | リンク | Map