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近隣諸国
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ザンビアの近隣諸国へ

ザンビアへ赴任していた2年間(1986年8月から1988年8月)に近隣諸国へ足を伸ばす機会(任国外旅行と帰路変更制度)があり、任国外旅行で東アフリカのインド洋沿岸へ旅行した。また、ザンビアの東に位置する国マラウイへも、そして、 任期満了時になかなか行くチャンスがないだろうと帰路変更で南部アフリカのボツワナと スワジランドへ旅行した。

 

インド洋沿岸-タンザニア・ケニアのコースト紀行(任国外旅行)

3週間の行程でエクスカーションチケット(3週間限定)を購入し、東アフリカのインド洋沿岸を目指した。ザンビアは内陸国であり、海なし国である。また、熱帯高地 (1200M)に位置し乾燥した気候だった。コーストといえば、熱帯そのもの、ヘトヘトになるくらい蒸し暑かったが青い海は気分がよかった。 

周遊する旅程でナイロビとハラレへも足を伸ばした。(航空運賃が変らなかったのも 影響している。)その旅程は、ルサカ−ダルエスサラーム−モンバサ−マリンディ−ラム−ナイロビ−ハラレ −ルサカとした。モンバサ−ラム間だけは陸路、バスで移動した。あとは大小取り混ぜた航空機と航空会社だった。

 

Victoriafalls TownとHwange National Park

リビングストンから国境の橋を渡るとそこはジンバブエのビクトリアフォールズタウン、当時は世界が違っていた。メーター付きのタクシー、Winmpyというハンバーガーショップ、バークレイズバンクの白人クラーク、小奇麗なホテル等まだ英国植民地の面影があった。特に、ザンビア経済が下降の一途をたどっていたときだけにビクトリアフォールズタウンの一つ一つ、当たり前といえば当たり前の差ほどものめずらしいわけでは無いが、がザンビアに住んでいた我々にとっては新鮮に写った。

また、Victoriafalls Townから程近いところにHwange National Parkがあり足を伸ばした。

 

東の隣国マラウイへ

当初はマラウイまで行くつもりではなかったが、チパタを訪れているときに車があるというので便乗させてもらった。リロングエを経由してそのままブランタイアまで乗せてもらった。

ブランタイアへ行く途中、国道はモザンビークとマラウイの国境線上になる。 右と左で国が違う。左右の風景は当時の政治経済状況をよく表していた。帰路はリロングエに立ち寄った。

このときは全て陸路で往復した。ルサカ−チパタ−リロングエ−ブランタイア−リロングエ −チパタ−ルサカであった。

 

南部アフリカ諸国(ヨハネスブルグ経由、ボツワナ、スワジランド、ハラレ)へ(帰路変更)

任期が満了間近、残るは帰国するだけというときにさらに南へ行くことを考えていた。帰国してからでは、きっと行くチャンスはないであろうことと、 南部アフリカをもう少し見てみたかった。特に、南アフリカを。しかし、当時はアパルトヘイトに対する経済制裁全盛期、 南アへ行こうと思ったがいろいろと障害があり、ボツワナとスワジランドに落ち着いた。それでも、ヨハネスブルグ空港トランジットを盛り込んだ。 帰りにはハラレにも寄った。  このときはの旅程は全て航空機を利用、ルサカ−ハボローネ−ムババネ (ヨハネスブルグ経由)−ハラレ−ルサカだった。

 

 

補足)当時、ザンビアには南アフリカ領事館はなく、近隣でビザが取得できたのはマラウイだった。タイミング合わず、ビザ取得を断念した。

補足2)スワジランドのビザは、ナイロビのスワジランド大使館へパスポートをクーリエで送付して取得した。