Lusaka
zambia info
gallery

 

ルサカ赴任-成田空港からルサカへ出発

1986年8月6日、ルサカへ赴任の日となった。今はもうどうやって空港まで行ったか覚えていないが、きっと一番リーズナブルだった京成だったのではと思う。京成線は今でこそ成田空港まで乗り入れているが、当時は、成田空港の手前で降り、連絡バスで空港まで行った。そして、空港の手前で降ろされ保安検査があった。ターミナルは当然ながら第1ターミナルだけだった。

ルサカまでのフライトルートは、成田ーアンカレッジーロンドンーナイロビールサカ、航空券は当然ながら片道。利用航空会社は、成田からロンドンまでが日本航空(記憶が薄い、ここもBAだったかもしれない)、ロンドンーナイロビがBritish Airways、ナイロビールサカがZambia Airwaysだった。

成田空港にて (6 Aug., 1986)

1986年8月6日、ザンビア派遣同期15名で一路ロンドンへ出発した。4月から7月中旬までの研修期間があり、終了後から出発まで約3週間はあっただろうか、身辺整理期間と称して赴任の準備、帰省、県庁への挨拶などを行なった。

4月に広尾4丁目の訓練所に入所した。その時は、当時勤めていた会社の都合により住んでいた社宅と称するアパートを退出することになり、友人の下宿先の好意により、1985年12月から西池袋の友人の下宿先に居候をしていた。その時には派遣の合否は決まっていなかったので、次の落ち着き先が見つかるまでのつもりだった。

それが一次試験にパスした連絡があり、年が明け2月初旬に二次試験(面接)があり、月末までには合否判定あった。身の振り方がひとつひとつ固まって行った。4月の第1週から広尾での訓練(この言葉はあまり好きではない)生活が始まった。7月初旬までの3カ月プラスが無事(何事もなく)に済み、次の段階である赴任準備に入った。訓練期間終了後に赴任日程の通知があり、ザンビア組は8月6日と告げられた。それまでは関係先への挨拶など要請されたことをこなした。渡航準備をすることになったが、具体的な現地情報が不足していおり、判断が付きかねる状況、よって何を携行すべきかはあまり考えずに身の回り品だけを詰めた。

成田空港へは、実家から直接行ったのだろう、荷物はアルミのケースとバックパック用のリュックだけとして別送品はつくらなかった。出発に際して、友人が見送りに来てくれた。フライトは夜の出発、アンカレッジ経由ロンドン行きだった。

narita narita1986
成田空港でのチェックインの様子 見送りに来てくれた友人たちと

アンカレッジ経由ロンドン行き

冷戦構造真っ只中、ヨーロッパへのフライトはソ連(シベリア)上空の北極ルートを飛べなかったため、 アラスカのアンカレッジで給油しヨーロッパ各都市へ飛んでいた。成田から、8-9時間でアンカレッジ、アンカレッジから6時間でロンドン・ヒースローといった具合だった。したがって成田からロンドンは16時間はかかったと思う。

アンカレッジ空港でのトランジットは、ほとんどが日本人だった。うどん屋があり、そして、このうどん屋が混んでいた。食べようと思わなかったが、不思議に映った。

このルート、運がよければマッキンレー山が見えた。

ロンドン・トランジット(予定通り)

ロンドンには早朝到着した。夕方のフライトまで、デイユースのホテルが取ってありそこで出発まで休むこともできたのだが、物見遊山、ロンドントランジットを満喫しようと市内へ出かけた。空港の観光案内所で一日チケットを購入しておいたので、これを使ってロンドン市内まで足を伸ばした。

ホテルで地下鉄駅への行き方を教わったのだがどうもおかしい、延々と歩いたのだけど駅が出てこない。途中でダブルデッカーに飛び乗った(Bus map)。そしたら何とか地下鉄駅に着いた。そこから、Piccadilly線でLeicester Squareまで、Northern Lineに乗り換え一つ目のTottenham Court Roadで降りて(Tube map) 、1983年に初めて海外旅行したときに立ち寄ったロンドン大学へ足を向け、近くの本屋に立ち寄った。ホテルまではどうやって戻ったか覚えていないが多分ヒースローまで地下鉄で行きホテルバスに乗ったのだろう。このまま留まりたい衝動に駆られたがこればかりは致し方ない。

ロンドンヒースロー、BAが遅れる1986年

ナイロビへのフライト、BAの出発が遅れ、ヒースローで待ちぼうけ。

ナイロビ乗り継ぎがトランジットに

ロンドンでナイロビ行きのBAが遅れたため、ナイロビでルサカ行きのケニア航空に乗れなかった。よって、ナイロビに泊まることになった。ホテルは、インターコンチネンタル、航空会社が用意してくれた。予定外のナイロビ一泊は、旅行気分たっぷり、短い時間だったがナイロビの夜を散策した。

ナイロビ ナイロビ空港
nairobi market

3日目の8月8日にやっとルサカ着

ルサカに到着した時は、すっかり日が暮れていた。本来は夕方に到着予定だったが、再度、ナイロビでフライトが遅れたのだ。やっと着いたという長旅の印象だった。着陸し滑走路を移動しているときに窓から外を眺めたが暗い。飛行機が所定のポジションに駐機し、タラップが付けられドアが開いた。外へ出たときに煌々とした照明に照らされ、タラップを一歩一歩ゆっくりと降りたことを覚えている。そして、熱帯高地特有の乾燥した涼しい空気は心地良かった。

 

イミグレーションでは、入国書類を書いてパスポートに入国スタンプを押してもらい、荷物も問題なく受け取り、JICA事務所から出迎えに来ていた調整員とミニバン数台に分乗した。空港から暗い一本道をひた走り、交差点を右に回り、また、ひた走り、街の明かりが見えた頃、脇道に入った。そこが、JICA事務所兼ドミトリーだった。


次の頁へ