ザンビアの近隣諸国(ボツワナとスワジランドのたび−隣国スワジランドへ)
ザンビアへ赴任していた2年間に近隣諸国へ足を伸ばす機会があり、東アフリカのインド洋沿岸へ旅行した。また、ザンビアの東に位置する国マラウイへも、そして、任期満了時になかなか行くチャンスがないだろうと南部アフリカのボツワナとスワジランドへ旅行した。実は南アへ行けなくなったのでその近隣へ足を伸ばそうと考えた。そして、ヨハネスブルグの空港をトランジットしてスワジランドへ行った。
アフリカのスイス、スワジランド, 1988年8月
任期が満了し、帰路変更期間を利用してザンビアよりさらに南部のアフリカの国を訪れた。当初は南アでブルーとレインに乗って、ケープタウンまで行き、雑誌などでよく見かけるテーブルマウンテンを考えていたが、当時は南アのアパルトヘイト政策に関連し、日本政府が経済制裁を実施していた関係で、公式には渡航を控えるよう促されていた。ビザを取得するのに、ルサカには大使館がないのでハラレかリロングエまで行かなければならかったこともあって最終的に断念した。
このとき、ザンビアから南アの政府観光局へ手紙を出し、ブルートレインの資料を請求したら立派なカラーの案内書が速やかに届いた。届けられた案内書を見ながら、その質の高さのとレスポンスのよさに感動したものだ。
スワジランドへは、ハボローネからヨハネスブルグを経由して着いた。スワジランドの首都はムババネ、空港はマンジーニ(Manizini)にあったのでそこから、バスでムババネへ向った。
スワジランドへ
それはさておき、ここまで来ているのだから南アを一目見ようと思いヨハネスブルグ経由でスワジランドへ行くことにした。この国もビザが必要なのであるが、これはナイロビの大使館へパスポートをDHLで送ってビザを受領した。今考えるとかなり荒っぽいことをしたものだと思う。
泊まったのはManziniという都市、こちらのが大きかったのだろうか。空港でホテルを紹介してもらいホテルバスで着いた。
ホテルは山荘風でプールがあったがその季節は丁度冬にあたり泳ぐどころの話ではなく、夜は暖房が必要なほど冷え込んだ。
翌朝、Mannziniの街へ出かけた。様子はハボローネとよく似ており、どことなく小奇麗な印象だった。スーパーに入っても品物が所狭しと並べられ、ルサカとは大きく異なっていたことは間違いない。
この国で最も大きいと言われるショッピングセンターへ行ってみた。別に買い物をするつもりではなかったが、アフリカへ来てこんなところはお目にかかっていなかったので興味本位で覗いた。丁度、お昼時でもあり何か食べようと思いセンターの中を捜した。中華料理屋があったが、一人だったのでランチはファーストフードで済ませた。
このとき駐車場に日本の国旗をつけた車が止まっていたのを記憶していたので、後日、ルサカの日本大使館職員と会った際、そのことを話したら、その人が大使と一緒にスワジランドへ出張し、中華料理屋でランチを食べていたということだった。この国もルサカの日本大使館が兼轄していたのだ。国旗があったのは大使が乗る車だからということを知らされた。
スワジランドで印象に残っているのは、紙幣の裏に印刷してあるスワジランド人の女性がとても綺麗だったということだ。
このあとはロイヤルスワジ航空の小型ジェット機(機種不明)でハラレへ向かった。
スワジランドについて
ムババネとマンジーニについて
空港のある都市と首都あ別だった。空港がマンジーニで首都がムババネだった。(準備中)
スワジランド国旗
スワジランド紙幣
スワジランド人女性たちがトラディショナルドレスをに身を包んだ精緻なデザインが印象的だった。確か1枚持っている。