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近隣諸国

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ザンビアの近隣諸国(インド洋コーストの旅ーモンバサからラム島へ)

ザンビアへ赴任していた2年間に近隣諸国へ足を伸ばす機会があり、東アフリカのインド洋沿岸へ旅行した。また、ザンビアの東に位置する国マラウイへも、そして、 任期満了時になかなか行くチャンスがないだろうと南部アフリカのボツワナと スワジランドへ旅行した。

Z近隣諸国top | ダルエスサラーム - ザンジバル島01 02 | - |モンバサ - マリンディ - ラム島 - ナイロビ | - | ハラレ

モンバサ Mar. 1988 The Way to the Lamu Island from Mombasa, East Coast of Africa

1988年3月、休暇を利用して内陸国ザンビアからタンザニアとケニアのインド洋沿岸を旅行した。ルサカから空路でダルエスサラーム、そしてザンジバル島、その後ここモンバサへ着いた。

モンバサの地図

Mombasa

モンバサはインド洋に面するケニア第2の都市であり、ケニアの主要港湾であり、軍港であり、リゾート地として名を馳せていた。また、ナイロビを経由してウガンダへ通じる鉄道の終着駅でもある。

歴史的には、アラブ・インドそしてポルトガル交易の中継地(奴隷の積出港でもあった)であり、他のインド洋沿岸都市同様アラブとイスラムの影響を色濃く残す。

【写真:早朝のモンバサ、ホテルのベランダより】

 

モンバサのコーストにて


公園のバオバブ

 地理的にはモンバサは自然の要塞、島である。北へは橋がかかられているが、南へはフェリー(当時)であった。フェリー乗り場からは停泊中の艦船が目の当たりだった。

 ここでは、街中に2泊、リゾートエリア(ディアニビーチ)に1泊した。友人からの情報とガイドブックから、ここからコーストを北上したラム島が良さそう。旅の情報収集とインド洋の海、ザンビアでは食べられない食事を楽しんだ

モンバサ、公園の巨大なバオバブ
Mombasa Mombasa

モンバサ点描

チャイニーズレストラン”香港”

このレストランを見つけたのは観光案内所へ行った時だっとと思う。この”香港”という看板を見るまでは、特に中華料理を食べようと考えてはいなかったし、頭の中にそのようなアイディアはなかった。 しかし、中華料理があるとわかるとどんなものか試したくなった。早速その日の夕飯にここへ出かけた。スープ、カニの辛子卵炒め、野菜、チャーハンなどを食べきれないほど食べた。このカニがなかなか良い味で、翌日もここへ出向くことになる。 ザンビアでは当時中華料理屋はまだなかったので、この久しぶりの中華を堪能した。予期していなかっただけに非情に強く印象に残っている。

モンバサのリゾート地区

インド洋沿岸、ニヤリビーチ(モンバサの北)、そしてディアニビーチ(南)がリゾートとして開発されている。一般的にはフルボード(全食事付で一日中ここで過ごす)の滞在型である。

 物見遊山、そんなところへこの方いったことが無いので一泊だけ体験しに南の海岸にあるリゾートホテルへ行った。コテージ形式の客室は椰子の間にあり、耳を済ませば波の音が聞こえるそんな素敵なところだった。

ドイツ人のシニア団体観光客が多く、丁度ヨーロッパが冬なので避寒なのだろうと思った。

 

モンバサのフロリダ

街外れの海岸沿いにフロリダというナイトクラブ(ディスコ)があった。夜だったからはっきりとわからなかったが、海岸べりで塀の向こうが海というロケーションだったと思う。戦艦が停泊していたこともあり水兵の姿が目立ち賑わっていた。

 

ラム島へバスの旅

モンバサからはインド洋沿岸を北上、陸路でラム島へ向かった。モンバサからラム島へはバスを乗り継ぎ、途中マリンディで一泊、足掛け2日を要した。

 ここの写真はそのときに撮影したものです。スライドからスキャンしたからなのか、月日が色を劣化させたのか本来の色彩とはやや異なる印象だ。記述は記憶を頼っているので不正確の部分があるかもしれない。

 

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国際的な観光地

ザンジバルホテルで朝食を食べに食堂へ行ったときに宿泊客の面々と顔を合わせた。見渡したところ、ヨーロッパ系が多かった。それでも東アジア系も宿泊していた。身なりからすると日本人のようだったので挨拶を交わしたら日本人だった。小さなホテルだったが国際色の豊かさはザンビアとは違うなーと感じた。

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