ザンビアの近隣諸国(隣国マラウイへ)
ザンビアへ赴任していた2年間に近隣諸国へ足を伸ばす機会があり、東アフリカのインド洋沿岸へ旅行した。また、ザンビアの東に位置する国マラウイへも、そして、任期満了時になかなか行くチャンスがないだろうと南部アフリカのボツワナとスワジランドへ旅行した。
リロングエ Lilongwe, 1987年末
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ブランタイヤへ行った帰りにリロングエへ立ち寄った。どこかに泊まったのだろうがもう忘れてしまった。
記憶していることは、市内にゴルフクラブがあり、そこのレストランで食事をした。そのとき、台湾人の人たちに会った。彼らは壮年だったこともあり日本語を話した。台湾農耕技術団の方たちでマラウイで米作を指導していた。彼等の指導する米作の実りがザンビアへ運ばれそれが我々の口に入っていたのだな-と納得。
当時既に首都がブランタイアからリロングエへ移転していたが、まだ、主要な政府組織は移転の途中だった。JICA事務所は首都のリロングエではなく、ブランタイヤに当時はあった。
マラウイについて
マラウイについて
マラウイも英国植民地のひとつでザンビア(元北ローデシア)とジンバブエ(元南ローデシア)でローデシア・ニアサランド連邦を構成していた。マラウイは周辺諸国と比べると天然資源も産業も特筆すべきものがなかった。主たる産業は南アフリカへの鉱山への出稼ぎと紅茶のプランテーション(ゾンバ周辺)だった。
当時南部アフリカ諸国は南アのアパルトヘイトに強行に抵抗していたのだが、マラウイは経済的な理由から対南ア政策は緩やかであった。ザンビアでは、市内のスーパーマーケットには南アへの経済制裁が強まり輸入が減少していたが、ここマラウイでは南アの製品が溢れていた。
リロングエについて
ザンビアのチパタから最も近い都会、
マラウイ国章
マラウイの地図
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