ルサカ残光
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});私の住んだまち、ルサカ(Aug.1986-Aug.1988)
私が2年間暮らしたザンビアの首都ルサカ、独立する前は英国の植民地、北ローデシア、 緑が豊富なルサカの街、ジャカランダやフランボヤント(火炎樹)が咲き乱れる街、職場となった 公共事業省建築局、ザンビア人や各国出身の同僚たち、住まいとなったノースミードのガバメント フラット、そして、ザンビアの人々愛嬌のある子供たち、チテンゲを巻いたザンビアの女性、 スペアリブの美味しかったステーキハウス、ノースミードのマーケットなど。
【写真:ルサカ全景(ハボローネへの機中から)、帰国直前に撮影】
着任翌日
私が2年間暮らしたザンビアの首都ルサカ、独立する前は英国の植民地、北ローデシア、 緑が豊富なルサカの街、ジャカランダやフランボヤント(火炎樹)が咲き乱れる街、職場となった 公共事業省建築局、ザンビア人や各国出身の同僚たち、住まいとなったノースミードのガバメント フラット、そして、ザンビアの人々愛嬌のある子供たち、チテンゲを巻いたザンビアの女性、 スペアリブの美味しかったステーキハウス、ノースミードのマーケットなど。
【写真:ルサカ全景(ハボローネへの機中から)、帰国直前に撮影】
ルサカの街
ルサカの中心街はカイロ通り、こんなアフリカの田舎都市にも高層建築が数本建ち並んでいた。冠を載せたような高層ビルは、チェコスロバキアの設計。写真左の建設中のビルは、UNIP?ザンビア与党のビル、中国政府の援助で建設されていた。
Lusaka's Skyscraper | カイロ通りのメインストリート |
ルサカ都市計画
ルサカ都市計画の歴史 (いつかは真剣に読もうと思っているのだが・・・)
20世紀初頭にロンドン大学都市及び地方計画学部教授によりこの地が選定された・・・植民地経営のために計画的に都市が建設された。
ルサカ動植物園
ルサカ郊外に動植物園があった。各人、まだそれぞれの任地へ行く前なので比較的のんびりとしていた。
ルサカ郊外の農場視察
赴任直後、農場を視察する機会があった。場所は空港の先、驚いたことに、無知だっただけだが、イチゴを栽培しヨーロッパへ空輸していた。
イチゴの他、小麦、野菜、養鶏、養豚、肉牛を営んでいたようだ。
水源は小川を堰き止めた農業用の池がありその水を利用して小麦や野菜へスプリンクラーを利用して散水していた。土壌は肥沃だし、気候も良い。水さえあれば農産物は容易に栽培ができた。
右上の写真は、種豚、1986年12月の暴動の際、食べられてしまったと後から聞いた。