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我が住まい、Northmeadのフラット

Government Flat, Balovale Court in Northmead, Lusaka

Balovale Court in Northmead, Lusaka1986年末、前任者の帰国に伴いJICA事務所より引越し。任期満了まで生活した。JICA事務所内のドミトリーで宿無し生活を4ヶ月続けた後、このフラットへ引っ越すことが出来た。

ここはノースミードショッピングセンター(近隣商業地区)に隣接し、マーケットやショップ、そして、レストランなどがあり 非常に便利な場所だった。写真は

表からのフラット、私の部屋は正面左端2階だった。 (部屋の間取り)ジャカランダが咲いているので、翌年の撮影だろう。【写真:フラットの表から】

この地区は、同じデザインのフラットが6棟あり、官舎(Government Flat)と呼ばれていた。グレートイーストロードに面しており、ルサカの中心地、職場、JICA事務所へとなかなか便利の良い場所だった。グレートイーストロードを挟んで北朝鮮大使館があった。

建築構造は、写真のように鉄筋コンクリート造だが壁はレンガを積んだ3階建ての長屋のようなデザインだった。間取りは1LDK家具付き、響きは良いがかなり古かった、一人では充分な広さだった。

 

後に実測で平面図を描き面積を測ってみた。壁芯で56平米、バルコニーが5.4平米、ベッドルーム15.8平米、ダイニングキッチン22.8平米、キッチン9.2平米、バスルームと玄関で8.3平米だった。(フラット平面図)フラットは1970年代前半にRC+ブロック組石造りで建設されたようだ。

 

フラットの名前、Balovaleはザンビアの北西部州Zambeziを中心とする部族Lovale or Luvaleを指し、以前はBalovaleと呼ばれていたことに由来する。Loval族は北西部州からアンゴラにかけて分布する。

Google Earth: "Barovale Court" lat=-15.4045718287, lon=28.2978826291

当りの官舎

Northmead, Lusakaルサカでは、地区によって停電や断水が頻繁にあったがここはそのようなことは一度も無かった。そういう意味において条件が良いフラットだったと思うし、4ヶ月待たされた甲斐があった。私の他にこの地区のフラットにJOCVが3人住んでいた。

隣接するノースミードショッピングセンターはグローサリー、肉屋、野菜マーケットがあり日常の買い物はここで十分間に合った。あるとき、オレンジの季節に大きな袋ごと、多分20kgではなかっただろうか、買って帰ったら子供たちがぞろぞろとついてきた。

この一角にはスペアリブが美味しいステーキハウス、Pete's Stake Houseがあった。何かあるとここへみんなで行った。スペアリブの他、タンドーリチキン(大きくてなかなか食べきれない)やTボーンステーキも旨かった。 地方の隊員はルサカへ来ると必ずここへ足を向けたようだ。

【写真:商業施設の駐車場側】

フラットの部屋

Balovale Court in Northmead, Lusaka1LDK家具付き、ベランダあり、赴任前の東京での生活ではありえない広さの借家だった。部屋の広さも一人では十分な広さ。(フラット平面図

RC3階建て、壁はレンガ、一見長屋のようだった。この部屋は2階の端、階段下の物置にCD50を格納。玄関を入って右側が台所、左がバス・トイレ。バスにはギザと呼ばれる電気式温水器が付いていた。(入居時、常にオーバーフローしていたのでフロートを調整した。)

台所はゴキブリの住処だったので、ゴキブリほいほい(ルサカに売っていたのだ、南ア製だろう)を買ってきて、仕掛けたら取れる取れる、1週間くらいで概ね我が家からいなくなった。同時に、外から進入してこないようにネットを買ってきて、通気口全てに取り付けた。その後、ほとんどゴキブリを見なくなった。

冷蔵庫が無かったので、中古の冷蔵庫を250ドルで職場の同僚(英国籍スリランカ人)購入、これで食料も保存できるようになった。

この写真は、リビング、ソファセットがあり、カバーはチテンゲへ変更、大きなダイニングテーブルが手前にある。この左側にベッドルームがある。シングルベッドが2台、作り付けのクロゼットがあった。ベッドはスプリングがへたっていたので、寝ると真ん中が沈む。どうもこれではと思い、帰任する人から柔道用の畳を譲り受けベッドの下に敷いた。

部屋の壁のペンキがはがれたり汚れたりしていたのでタウンのインド人商店でペンキと刷毛を調達、塗り直したら真新しいフラットに変身した。

こんなことをやりながら、自分の住まいを環境を整えていった。

 

写真は我がフラットのリビングルーム、これと同じ大きさのベッドルームが左側にある(部屋の間取り図参照)。窓の前にはカシアの黄色い花が咲き、ベランダへ出ればジャカランダも楽しめた。

愛しきフラットの隣人たち

同じフラットの子供たちは、これまでも日本人が住んでいたからであろう、ジャパニ、ジャパニと毎日のように遊びに来た。もう13、4年前だから彼らは10代後半から20代後半に成長したことになる。
約2年間、毎日のようにジャパニ、ジャパニと 我が家に遊びに来た愛しき隣人たち。時々母親が心配になって向えにきた。右側、集合写真は、左からチャーリー、イヴォンヌ、ルーシー、アーノルド、後は不明。

ルサカボーイズ

私、ルーシーよ チーズ!

Yvonne一派

彼女らは毎日のように私の帰りを待ち構えていた。 何か一言言葉を交わさないと気がすまないようだった。二人に囲まれている 小さな子供はおちゃめなチャーリー。

下の写真は、隣のフラットの子供たち。我が家の常連ではなかった。ある日、写真を撮っていたら見知らぬ顔が集まった。

お隣のセカンダリースクール女学生

子供たちはよく我が家に遊びにきたが高校生となるとなかなかそうはいかないようだ。隣の部屋の女学生は時々廊下でこのようにおしゃべりをしたり、髪を結ったりしていた。部屋が狭いこともあったのだろう、同じ間取りで家族が暮らしていたのだから。

ケニアからのゲスト

ケニアから同期(左から二人目の女性)がルサカへ任国外旅行でやってきた。ノースミードの住人と、なぜかキトウェの住人もいるが、我が家で記念撮影。

グーグルアースで見るノースミード

northmead

南緯15度24分16.45秒

東経28度17分49.81秒

標高1271m

(Google Earth)

当時より住宅が増えた印象(地図の上部)だが概ね当時と変わらない。

左下、樹が茂っているのが北朝鮮大使館

道路は、Great East Road

 


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